Q. 記録はだれのもの?
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このもやもやの詳細
アーカイブとは本来、ひとつの歴史観を示すのではなく、歴史がそこから紡がれていく、複数の記録を保管していおくものである。(…)たしかにアーカイブは、個々の記録の価値を平等化する。だが、個々の記録を何らかの形で記述・構造化して整理しなければ、アーカイブそれ自体が成立しない。タグやメタデータがなければ、検索すること自体が不可能な、資料の山にすぎなくなる。ここにアーカイブ的なジレンマがある。
──佐藤知久・甲斐賢治・北野央『コミュニティ・アーカイブをつくろう』(晶文社、2018)p.295-296
たしかに記録は作者のもの。
だけど、その記録を並べたときに見えてくるものは、きっと作者だけのものではない。
だれかの記録をとおして「私」のまなざしがつくられるのだとしたら、その記録はだれのもの?
このもやもやの背景(さらにいくつかのもやもや)
たくさん資料がありすぎると見えない(それは存在してないないのと同じ?)
だれがタグ付け、メタデータを付与するのだろう(いったい、どんな根拠で?)
デジタルのコピーはすぐに複製できるけど、どれがオリジナルだろう(そもそもオジリナルって?)
どこに、どうやって保存する(ひとつの安全な場所に集めたり、みんなで分けて持ったり)
分散型のインターネットならではのアーカイブのかたちってなんだろう
このもやもやを考えるための事例
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